匿名希望は、死語になる?

その昔、まだインターネットなんてない時代、
匿名希望といえば、ラジオ番組のハガキ紹介コーナーだった。

番組のパーソナリティが、リスナーから送られてきたハガキを紹介するのだが、
そこに匿名希望と書かれていることが多かった。
匿名希望と書かれることで本名は伏せられ、自分で考えたペンネームで
投稿したハガキが紹介される、そんなシステムだったと思う。
当然、紹介されるハガキは、内容がオモシロイものに限るのはいうまでもない。

そして、時代は進んで今である。インターネットが世の中にまんべんなく行き渡り、
ことさら匿名希望と伝える必要がなくなった。インターネットのおかげで、
誰かに委ねるのではなく、みんながもれなく、しかも自分自身で好きに
匿名になれるようになったからだ。

もちろん、今でもラジオ番組では、ハガキの投稿を受け付けていると思う。
若いころにラジオに熱中していた年配の方には、メールやツイッターなどより、
ハガキのほうが馴染みやすいと思っている人も少なくないだろう。
とはいえ、やはりインターネットでの投稿は手軽で、ハガキ代もいらないので、
ハガキ“減”による匿名希望“減”への流れは、ますます進んでいくのではないかと思う。

それだけではない。今は、個人情報保護法もある。
昔は、リスナーが匿名希望と伝えたにもかかわらず、
うっかり本名をしゃべってしまうパーソナリティも多かった。それが許された。
しかし、今はそうではない。だからこそ、パーソナリティも、
各方面からお叱りを受けないために、たとえリスナーが気にしなくても、
できるだけリスナーの本名は口にしないと、気をつけているのではないだろうか。

そんな、インターネットによって変わってしまった時代に、
匿名希望を伝える意味などあるのだろうか。
今や、本名を公開しようと思えば、自分の好きなときにいつでも公開できるのだ。

それに、誰もが自由に、発言や主張ができるようになるということは、
誰でも、それに対する反論や批判ができるということでもある。
人間好き好んで、不特定多数からの反論や批判なんか受けたくはない。
ましてや、本名のままなんて問題外。

そう考えると、匿名とは、今の時代を生きるための必須条件のようにも思えてくる。
すでに、匿名が当たり前の時代、匿名希望をわざわざ伝えるためだけのこの言葉は、
死語に近づいているのではないだろうか。
そのときは、もう、ほんのそこまで来ているのではないだろうか。

ついそんな柄にもないことを考えながら、猫と日向ぼっこをする日曜の午後だった。

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